物書き練習帳

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その時になって初めて分かることがある

今日、YouTubeをだらだらと見ていた。そして、ある映像を見て涙した。

使い古された言葉に、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。今まで私は、歴史に学んできたつもりだった。「よくこんなことが言われているらしいし、自分はこうはならないようにしよう」と。

そもそも「こんなことが言われている」と気づくのはどんな時だろう? 私は、相応しい時になって初めて気づくと思う。ビスマルクのこの言葉は、その時に歴史に学べるかどうかが愚者と賢者とを分かつ、という意味なんだろう。

相応しい時、とはいつだろうか?

最近、小説やアニメ、映画、はたまたドキュメンタリーを見ていて、急に涙もろくなったと感じる。見聞きした対象に共感しやすくなるだけの類似体験が自分の中に多くなったからというのもあるかもしれない。自分の体験したエピソードのリプレイ。

しかし、未経験のことでも涙が出てくることがある。

それは、今まさにそのことについて自ら考え、悩み、苦しんでいるからではないかと思う。答えを与えられたかのような。もやもやを解きほぐして表現してくれたかのような。その時、自分でも言い表すことができずに溜まっていた感情が堰を切って出てくる。それが、涙なんじゃないだろうか。

飽きもせずグズグズとしている自分に悩み、どうしたらよいのか。そう自らを責めていた時に、この映像を見た。

実は、私は以前にもこの映像を見たことがある。でもその時は、「こんなくずじゃねーよ俺は」と他人目線で見ていた。

けれども、今見たら、主人公が考えを変え、行動を変え、周りを変えていくその姿に涙した。風穴を開けることはきっと不可能ではないのだ。私にもできるはずだ。

自分と向き合い、感情と対話し、そこで歴史に学ぶことができれば、人生は豊かになるんだろう。私たちは、自分と向き合えているだろうか?

 


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